考える紫

「考えること」を大切にしている、集団生活が苦手な若造のブログです。

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後悔しないためのたった一つのこと

※はじめての方はこちらをご覧ください。

 

順当に行けば今回は「心に残る人シリーズ」第3弾になるのだが、気分が乗らないので別の事を書く。そう、私はとても気分屋なのだ。

 

今回は「後悔しないためのたった一つのこと」。

私が責任転嫁や後悔をしないように心がけていることとは?

 

 

今の私は責任転嫁や後悔を(ほぼ)しない。

過去にはそれらのことをしたこともあったが、生き方を変えてからは(ほぼ)しなくなった。

変えるには、ある一つのことを心がけるだけでいい。

※「ほぼ」と付けているのは、その「心がけ」が実行できなかった場合には、後悔や責任転嫁をしてしまうからだ。「心がけ」が実行できている範囲においては、後悔や責任転嫁は生じない。

 

「ある一つのこと」、それは「自分で考える」ということだ。

正確に言うと、「自分で考えるということに最大の価値を置くこと」だ。

例えば、ハンター試験*1のようなものを受けているとする。

そこで、Y字路に直面した場合、右の道に行くか左の道に行くかを考える。

ここで、クラピカ理論*2を思い出し、右に進む。

それで良い結果が出れば良いが、悪い結果が出た場合、

「なんでクラピカなんか信じたんだ!」(後悔)

「クラピカのせいだ!」(責任転嫁)

という気持ちを抱く人が多いのではないか。

 

では、 自分で考えるということに最大の価値を置いた場合はどうか?

右の道と左の道に関して、出来る限りの情報収集を行い、それらの情報から二つの道について分析する。そして、「自分の考え」に基づいて二つの道を評価する。自分の考えに基づいているので、自分の判断に責任が持てるし、失敗したとしても「自分で考える」ということに最大の価値を置いている人ならば、失敗するダメージより「自分の考え」を貫かなかったダメージの方が大きくなるとわかるはずだ。だから失敗しても後悔しない。失敗しても、自分の中で最大の価値を持つもの(「自分で考えるということ」)が守られるのだから。

こう見ると、 「自分で考えるということに最大の価値を置くこと」 は、ある種魔術的な要素を持っているのかもしれない。

 

失敗のない人生なんてない。どうせ失敗してしまうなら、後悔しない方がいい。

私は、後悔・責任転嫁・言い訳は「カッコ悪い」と思っている。だから、それらをしたくないし、している人をみるとあまりいい気分ではない。

「自分はそれらをカッコ悪いなんて思わない!」と言うなら、堂々と「後悔・責任転嫁・言い訳」をすればいい。「自分で考えるということに最大の価値を置く」なんてことはしなくていい。

私は多様性を認めることを大切にしている*3ので、そういう人を弾圧するつもりはない。しかし、できればカッコ悪くない 「後悔・責任転嫁・言い訳」を見せて欲しいものだ。

 

普段からこういう考え方で生きているのだが、一昨日バイト中におもしろい文章を見つけた。

私は個別指導塾でアルバイト講師として働いている。現在は小・中・高の国・英を受け持っているのだが、その文章はある国語の問題集に載っていた。

出典は岸本葉子氏の『夢に向かって生きる喜び』と書かれているのだが、ググっても同名の本は見つからなかった。彼女のブログでブログ内検索をおこなったのだが、それもヒットなし。この文章はどこで読めるのだろうか。

その文章には、イギリスの探検家ロバート・スコット氏*4が、自分の意志を貫いた結果、敗北で終わる人生を後悔しなかった、ということが書かれている。

やはり、自分の意思(意志)で決定するというのは、大事なのではないだろうか。

 

ご一読ありがとうございます。